先週の日曜日(12日)に町内の親睦交流食事会を行なった。
本通2丁目は、世帯数70軒の小さな自治会であるが、この食事会は42名の皆さんが集ってくれた。
今年、僕はパートナーシップ制と言う名称で、町内を3班に分け、それぞれの班に担当者を割り振って、高齢化する町内会員間の助け合いを深めたいと思っての事である。
7月に、7月31日(月末)というタイトルでブログを書いた。
(http://www.daiichi-printing.com/blog/07/4217/)
300年余前に「信州川中島より神来る」
と駿河風土記に記されている、町内に鎮座なされている八朔神社の改修を50年振りに行なった。
改修に当たり古い社を建て替えたのであるが、この古い社から当時の上棟札が出て来た。
そこには50年前の父の名前が残っていた。
恐らく父が50才ぐらいの時の事で、僕が16才くらいの時の事であろう。
これとは別に昭和44年に作って以来、約50年にわたって使用していた町内の回覧板の木箱に限界が来た。
奇しくもこちらも作り直しの時期を迎えた。
手直しをしたりしていたが、いささかもう取っ手も針金で直したり、テープで補修した木も割れてしまった。
50年という歳月が作り替えを要求したのである。
今回の町内親睦交流食事会は、毎年ここ5年程行なっているが、以前は単に「町内親睦食事会」と言う名であったが、今回、僕は敢えて「交流」という文字を入れた。
それは、今までの50年は「個」の時代であったと思うが、各家庭だけの時代は終わり、これからの50年は共同体や世代交流が必要とされる時代の始まりと思うからである。
神社も、回覧板容器も新しくなったと同時に町内会の有り方も確実に変わっていくと思う。
新装された神社に僕の名前を記してもらったが、この神社を次に改修する時、僕の名前を知っている人が何人居るだろうか?
その時、又時代は新たな局面を迎えていると思う。
出来る限り、この新時代の流れに協力して参りたいと考えている。
来年の親睦会には60名の参加者が来てくれるような町内運営をしてゆくことが僕の責務と感じている。
(しかし、共同体時代に入っているのに、家族葬という風習になっているのは悲しい。)
記 ダボ・イトウ
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