僕の自宅のリビングに掛かっている「日めくり」は平成18年3月10日以降破られていない。
あれから12年と8ヶ月が経っている。
「日めくり」の紙質は業界では「純白ロール紙」と言う。
通常チラシや、カタログで使われている艶のある紙は「コート紙」が多い。
書籍や、ノートなどは「上質紙」、紙袋に使われているのは「クラフト紙」などと、紙の種類は種別から厚み(斤量)と多岐にわたって、何百種類と存在する。
「純白ロール紙」は名前が示す様に真っ白な紙で、薄くて、強いと言う特性を持っている。
この真っ白な紙質であった日めくりも、約13年も経つと黄ばんで来ている。
何故この日めくりが12年8ヶ月前から破られていなく、黄ばんでも掛けられているのは日めくりを毎日破っていた母が、この日の夕方自宅で転び大腿骨を折って入院してしまったからである。
この後、日赤で手術をして2ヶ月の入院生活をし、その後、自宅に戻り(5月23日)静養生活に戻ったが、9月15日に軽い脳梗塞を発症して再入院した。
そして病院で、2ヶ月弱の治療を行なっていたが、今日(平成18年11月2日)亡くなった。
今日は母の命日です。
丸12年は13回忌と言う節目の日です。
先週の土曜日、兄貴と義姉さんが来静して、お墓に行き、お線香をあげて、母を偲んで来た。
その後、うなぎを3人で食べた。
本当は泊まっていってほしかったが、何か用事が有ると、そのまま帰京して残念だった。
○○バー辺りで鱈の刺身、ナガラミ、ホテトフライ(この蒸したポテトに衣を付けて揚げる調理は静岡独特らしい)でも一緒に食べたかったが、一寸残念。
母(伊藤千代子)は大正元年10月28日に東京市牛込区鶴巻町で生まれた。
生きていれば108才になっている。
とても健啖家の人で、90才を過ぎてからも魚よりもステーキの好きな人だった。
大正元年10月28日、東京、牛込鶴巻町で生まれた母は竹下夢二に憧れた少女時代、戦争の苦しみ、物資の乏しい昭和の時代、僕達子供が出来て、母親としての時間。
父が亡くなってから、孫たちとの生活。
95年の生涯だった。
優しくしてくれた母が亡くなって13年が経った。
54才であった僕も67才になっている。
母の命日を、これからどのくらい覚えている人が居るだろうか?
徳川家康が死んだ日は全く知らん。
天ぷらに当たったとか?胃癌だったとか?今ではわからん様になるのが時の流れだ!
記 ダボ・イトウ
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