先月末の10月28日 トランプ大統領が「世界は平和になった」とコメントした。
理由はISの指導者バグダディ氏の殺害に成功したと言う事だった。翌日にはバグダディ氏の後継者(名称不詳)も殺害に成功(?)したとの報道が有った。ネットニュースや新聞では容疑者と言う表現であった。
ブログでは何時も言っている様に、政治の話・宗教の話・プロ野球の話は書かないとしている。(ダボは知識が乏しいからである)つまり、一方しか理解していない能力では相対が解らない。(ダボは知識が豊富なので相対の意味を知っている)
つまり敵対すると言う意味を広辞林には(相手を敵としてむかうこと、はりあい)と記してある。
つまり相手から見れば敵と言うことで、どちらかが是でどちらかが非とは解らないのである。新聞の論調は怪しい。河野大臣が「雨男」と言っただけで批判されるし、荻生田文相の「身の丈」発言も難しい表現だ。
河野大臣は自衛隊の隊員の労苦を労るつもりであるが、台風被害者からの目線からでは被害者の心情を慮っていないと言う事になり、「身の丈」も世の常であるが、見方によって敵対する。
それにしても人を殺害して「平和になった」とか「成功」とかの表現は如何なものかと思う。
中東の新聞は何と書いてあるだろう?
殺害と言う言葉を聞く度にダボは「名張ぶどう酒」事件を思い出す。奥西氏(容疑者とは書かない)の自白と王冠の歯形鑑定で死刑が決まり54年の獄中生活の末 死亡した。死刑執行と余り変わらないであろう。
何故思い出すと言うと、村人が『奥西勝が犯人でないとこの村から又犯人探しをしなければならない。勝には可哀想だが・・・』昔こんな記事を読んだ事を想い出した。
これも相対である。浮気をしている人としていない人との意見は敵対する。
記 ダボ・イトウ
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