HOME > 七五三 VOL.7 – NO.540

七五三 VOL.7 – NO.540

今日この日(11月15日)に市内を車で廻っていると、少し前は七五三の祝いで着飾った親子連れを神社周辺でよく見かけたが、今はその前の土・日とか、都合の良い日に祝うそうだ。従って11月15日が七五三を祝う日としての確定感は薄いような時代となっている。

徳川五代将軍 綱吉の長男の健康を願って行われた日が由来との説が知られている。でも旧暦の11月15日と太陽暦の11月15日とは違うので、何時祝っていても良いという事であろう。旧暦の11月15日なら二十八宿の鬼宿日とも言われ、11月は収穫が終えた満月の日の感謝の日とも言われている。でも我が家の七五三の祝日、11月15日は絶対ずらしては絶対ダメな確定日付である。

何故なら父親(伊藤勲)の誕生日ですから。

大正7年の11月15日生まれである。生きていれば102歳の筈であるが、今年の年齢早見表では大正8年からの記載で102歳は欄外になってしまい、亡くなったのも仕方ない歳月の流れと言う事になるかもしれない。

(ダボの年齢も左端の下段となり、段々とこの階段を毎年上ってゆく。そして最後は欄外に出れば長生きと言う事だが…)

 

 

父親の写真を探してみたが、七五三の写真は見付らなかった。一番古い写真も尋常小学校の時であった。

その時の写真は沢山あったが、幼少期始めでは見つからんかった。

学生時代

帝国軍人時代

晩年の父(病室で母と兄貴)

 

母親の七五三の写真は見つかった。
母の七歳の時の写真があった(1919)今から100年前

母(伊藤千代子)

 

ダボの七五三の写真も出て来た。

ダボ 三才の時

今からお墓に行って、花を飾って来ようと思っている。

我が家では七五三(45%・35%・20%の按分)は非常に重要な意味を持っている。

 

 

        記 ダボ・イトウ

 

 

 

コメントは停止中です。