昭和16年12月8日、つまり82年前、大日本帝国海軍は、真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が勃発した!
(実際には陸軍のマレー作戦を開始した方が若干早い。)
前大戦で、330万人程の死者が(世界中では5000〜6000万人程)出たと言われているが、その死者のうち、90%は昭和19年から終戦の20年8月までと言われている。
ミットウェー海戦(昭和17年6月5日)以後は、防戦一方どころか敗退の一途でした。
圧倒的な戦力の違いは、大きな被害を生ずる。
レイテ決戦(司令官山下奉文大将)は終戦まで続いたが、マッカーサー元帥がレイテ島に上陸したのは昭和19年10月20日です。
(フィリピン戦での死者数は約52万人と言われている)
食料の補給も兵器の補充もない戦いは悲惨である。
戦いは兵士ばかりでなく民間人も犠牲となる。
昭和20年2月19日、小笠原諸島「硫黄島」でアメリカ軍の上陸が始まった。
日本守備隊は栗林忠道中将以下、約21,000名。
このうち95%の兵士が死んだ。
(孤島だったので、軍属は居たが民間人は居なかった。)
この時の事は、ノンフィクション小説『散るぞ悲しき』(梯久美子著)に詳しい。
この時、孤島で逃げる場所のない戦いの戦術として、地下壕戦で挑み、戦力差を埋めようと、国に殉じた。
ハマス(HAMAS)が10月7日にイスラエル領内に武力攻撃を行って、イスラエルと戦争状態に入っている。(既に2ヶ月)
ハマスの拠点は「ガザ地域」(天井のない監獄)に有り、これに対してイスラエルは圧倒的な武力で、制圧に掛かった。
物質が入らず、手持ちの武器も少なく、抵抗の手段として、地下トンネルを利用して戦っている。(一時停戦となっているが。。。永遠ではない)
周りを海に囲まれ、周りを戦車で囲まれ、物資も無く、食料に欠け、命の保証のない境遇で、お互いがお互いの大義の為に戦う。
善・悪の判断でなくして、何時の時代も争うと言う事は、プラス思考にならない。
昨日、お寺の前に掲げてあった言葉。
争いのない、フラットな生活を目指そう。
記 ダボ・イトウ