友人のお父様が亡くなって、12月10日に葬儀が有った。
今月に入って、先日のブログではないが、亡くなる方が多い。
やはり、寒さが厳しくなって来ている証拠である。
沢山の生花が飾られ、数多くの弔電、弔辞が紹介されていた事は、彼のお父様の成功の歴史でもある。
お父様の経歴をお聞きしていて感じた事が2つあった。
一つは、82才で亡くなったお父様は、旧制と新制の学校の狭間の時代で、もう軍隊世代ではないと言うことであった。
私の亡くなった父は、大正7年生まれで、青春時代は満州の地で過ごした。
軍隊時代が大きな人生でのウェートを占めていたが、もう、戦前と言う言葉は遠い過去になってしまっている。
(この文章を、他国の人が読んで、『歴史認識の欠如』と言われるかもしれないが、そんな意味はなく、『時代は流れ、歴史の証人が少なくなっている』と言う意味だけである。従って、シベリア抑留者の問題は早急に解決すべき問題と思うが、早くしないと対象者がお亡くなりになる)
もう一つ感じた事は、彼のお父様が銀行勤めの後、昭和52年に退職して起業して、会社を優良企業に育てたと言う事を聞いて、起業者の『先見の明が有ったんだなあ』と思った事だ。
公園整備の事業とか、遊具の設計、整理など、今、当たり前に使っている環境や用具を、時代に先駆け事業として展開されたと言う事であった。
私は、二代目を引き継いだ人間だが、この起業家としての着目や創業の苦労が有るかと言う反省である。
今、求められている事、又、今後必要となる仕事を、今年一年出来ただろうかと言う忸怩たる思いを感じた。
来年は、この精神を失わない年にしたいものだ。
記 ダボ・イトウ