二之丸橋を渡って、公園内に入ると、左手に有った児童会館はもうない。
テニスコートも無くなり、親戚のK商店のKさんが毎朝コートに来た事を思い出す。
ここには坤櫓(ひつじさるやぐら)が再建された。
一寸中を伺ってみたが、なかなか面白かった。
ここを出て「やすらぎの塔」に来ると、もう像は取り除かれていた。
ここは、家族の緊急時の待ち合わせ場所と、その昔決めてあったが、既に台座だけになっていた。
「備えあれば憂無し」
もう一度、家族で確認しよう。
しかし、このブログのタイトルではないが、皆が携帯電話を持ち、待ち合わせ場所を決める何て言うのは、時代錯誤かも知れない。
正しく時は物事の変化の尺度である。
次に行ったのは、紅葉山公園。
ここも思い出がある。
母が亡くなる前年の平成17年。
S紙業の女性のM社長が、ペーパークラフト展(風車)を敷地一杯に飾ったイベントを二人で見に行った記憶が甦った。
あれから10年。
僕も未だ50歳台前半であった。
その後は、三十四連隊の石碑。
その横にある橘中佐の「遼陽城頭夜は闌けて・・・」
なんて今の人は知らないであろう。
軍神橘中佐と郷土の勇士を讃えられても、時の流れ(物の変化)と共に忘れられていく。
この日曜日はなかなか、散歩していて面白い発見のあった休日となった。
昔の事を言い出すとは、僕も「ジーサン」になった証拠だ。
記 ダボ・イトウ
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