76年前の今日(12月8日)午前6時のラジオ放送が
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
と突如発表した。
これが、4年に亘る太平洋戦争の始まりであった。
国民は、このニュースを聞いて、
「よくぞ立ち上がった。これは白人支配からの脱却で、大東亜解放の為の、正義の戦いだ!」(是)
「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」
昭和天皇の玉音放送で、4年間の激闘の戦いは終わった。
(開戦時には支蘇の文字は無かったが・・・)
8月15日を境に戦前の正義の戦争は、正義から侵略となり(非)価値観は逆転した。
日馬富士の傷害事件で、日本相撲協会が揺れている。
貴乃花親方が角道としての論を張れば、相撲協会は組織としての論を述べる。
是非と言う言葉は、自論から見ると反対側は非となる。
即ち、非と相手から見られた側から相手を見れば非となるから、非と見られた側は自論は是となる。
是非は立場に依って変わる。
太平洋戦争が始まった昭和16年の今日以前は、天皇陛下は現人神であり、人間であると言う論は非であり、戦争が終わった後は、「人間宣言」(是)で、現人神との立場は非となり、是非と言う言葉の使い方は難しい。
僕は、こんな言葉が好きだ。
「但ダ見ル花ノ開落ヲ言ワズ 人ノ是非」
(それにしても江戸時代から現在まで72人しか存在しない横綱が、大勢誕生している大臣が報告書を手渡す時、お互いに礼を尽くさず、大臣が頭を上げている姿勢は是か?)
織田信長が最期に言ったと言われる
「是非に及ばず」
とは、「仕方ない。止むを得ない。」と言う意味だそうだ。
記 ダボ・イトウ
2 thoughts on “是非 VOL.4 – NO.350”